暖かくなったのでダウンからジージャンに着替えた。 それ着たら、あかんわ。 救急車で運ばれた時のことを思い出すわ。 妻にそう言われた。 もうダメかと思いながらも、去年のあの日、救急隊員の人たちに家から担ぎ出してもらう時に何故かジージャンを着てしまった。 手術室でこれを脱がせるのが大変だったらしい。 じいちゃんの思い出のジージャン。 いつもの続きはまたあした。 ほなっ!
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3月, 2021の投稿を表示しています
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以前、別の商品でテレビショッピングやラジオショッピングで大きな成果をあげた経験があったので、干し芋もラジオショッピングで弾みをつけようと思いました。 放送直後には、朝から夜まで全く切れ目なく、電話注文をとりつづけました。なにしろ電話回線ひとつですから。 受話器を置くとすぐにチリリン。 楽しかったです。 受注後の干し芋生産が大変でした。 さつまいもの具合が悪いものもあったので結局全てを出荷するのに20日以上かかってしまいました。商品の評価は高かったものの大失敗でした。 商品を紹介してくれたタレントさんが自分でも個人的に申し込んでくれたのがちょっとしたなぐさめでした。 その干し芋の評判を聞きつけて、産地の農家さんが九州からやってきてくれました。 そこから先はまたあした。 ほなっ!
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干し芋は、蒸してから天日干しするのが昔からの作り方です。最近は機械が発達したので乾燥させるところも増えてきたようです。 トースターであぶると柔らかくなって、甘さが増して、これまた美味しい。芋好きなら、少々歯応えのある干し芋をかじるのが好きというひともいるでしょう。 基本はさつまいもの甘さですが、中には砂糖を使ったというものもあるようです。 さて黄金餅は、今流行りの紅はるかやシルクスイートを焼き芋にしてから機械で乾燥させて作ります。ねっとり柔らかく猛烈に甘いのが特徴です。 ねっとりしているからそれを干し芋用にカットするのは、とても骨の折れる作業です。 でもこの作業の先に今までにない甘く柔らかい美味しい干し芋があります。 あきらめずに乗り越えよう。 そんな気持ちで作り続けていました。 それなりの量を作れるようになったので大々的にラジオショッピングにトライすることにしました。 つづきはまたあした。 ほなっ!
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(前回の捕捉)レシピというのは、材料のことだけをいうのではなく、作る時の手順や時間配分も関係してきます。 レシピを教えて下さいと言われたところには教えていましたが、なんかうまくいかないことが何度もありました。 もの作りというのはなかなかやっかいなものです。 ところで、スイートポテトに対して、色んな褒め言葉をもらいますが、いちばんうれしかったのは、「昨日、月見をしながら白ワインと一緒に頂いたたらみんな大喜びだったわよ」と言われた時です。 ほんまかいなーと思いながらも、そんな食べ方があるとは驚きでした。 温かい紅茶によくあうといわれるので、自社ブランドのアールグレイのティーバックをギフトセット用に用意もするようになりました。 このコロナ騒動がなければ、去年の6月から伊丹空港で、大阪みやげの新人として大々的にデビューすることが決まっていたのですが、今はペンディングになっています。 待てば海路の日和あり。いずれまたチャンスがあるでしょう。 あっ、干し芋の話しができませんでした。 それはまたあした。 ほなっ!
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スイートポテトのレシピはネット上にいくらでもある。でもどうせやるなら格別美味しいものを作りたい。 そこで、先輩でケーキ作りで総理大臣賞ももらったこともあるパティシエに指導をお願いした。 焼き芋をそのお店の厨房に持ち込んで作ってもらった。まかしときー、と言って元のレシピをアレンジして、本気で作ってくれた。 それを食べてパティシエはその場にしゃがみ込んだ。 「なんじゃ、これ。めちゃくちゃ美味しいわ」 そのお店で売っているスイートポテトのレシピを焼き芋に合わせてアレンジ。さつまいもを業務用の芋から極上の焼き芋に変えたことが大きかったのか、美味しさが跳ね上がったらしい。 ありがとうございます。 このやり方、そのままいただきます。 このパティシエのおどろきようがうれしく、教えてもらったレシピをベースに、焼き芋屋が本気になってさらにアレンジを加え、それでできたのが本気のスイートポテトです。本気と本気の合わせ技。 地元のスイーツフェアでは大好評を博し、お店の看板メニューのひとつになりました。 その後百貨店やイベントでも人気を得ることに。 本来の目標、干し芋の販売強化のためにラジオショッピングにもトライしました。 そのことはまたあした。 ほなっ。
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昨日、チャレンジって偉そうな言葉を使ってしましましたが、つい口が滑ってしまいました。そんな偉そうなものではなかったです。 色んな人に助けてもらったのです。 地元の行政の企画で地産地消推進のためとしてさつまいもを使ったスイーツフェアを行うという話しがありました。 中央卸売市場を盛り上げるのが任務だと思っていたので、さつまいもの産地として特別に力を入れているわけでもない地元のもの使うのに興味が湧きませんでした。 ところが、ある日お客さんから言われました。 「ここのお店は、今度のスイーツフェアには参加されないんですか?」 同じ日に二人もの人から言われました。 「なんかある」 そう感じてイベントへの参加の申し込みをしました。 なんとその日が申し込み締め切り日。 パッと思いついたスイートポテトで参加することに。 さて、どうやって美味しいスイートポテトを作るか。 どないしよう。 そこから先はまたあした。 ほなっ!
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机に向かってする仕事から、芋を洗って焼いてスイーツを作る仕事へ。 ひとりでコツコツやる仕事から、皆さんのご協力を得てチームでやる仕事へ。 朝の早よから夜の閉店までの長時間労働。 何もかも60歳までの仕事スタイルとは違った「畑違い」 でも芋畑には、歳を重ねてからも夢見れる甘い香りを感じて、「これもまた修行」ととらえて踏ん張ることにした。 他人様から見たら苦労のてんこ盛りだったろうけど、元々苦労という言葉が嫌いなので、そういう風に思ったことは一度もない。全て修行と捉えることにした。 (それが苦労というのじゃと言われそうですが、スルー、スルー) これまでで大きな転換点は、5回もあった。 そのひとつが、焼き芋でスイートポテトをを作ったこと。 干し芋しか頭になかった私にとってこのチャレンジは大きかった。 その詳しい話しはまたあした。 ほなっ! 本日のおまけ 友人がドライブの途中、ガソリンスタンドに寄った時のこと。 スタンドの人に「手洗い、いいですか?」と聞いた。 スタンドのトイレは、事務所の中にあることが多いので、そう声をかけたらしい。 すると、そのスタッフは「すみません。手洗いは予約制になっていますっ!」 「?????」 なんでやねん!トイレ借りるのに予約せなあかんのか! スタンドの兄ちゃんが指差す方向を見ると「洗車手洗い、予約お願いします」の文字が。 手洗いと言わず、お手洗いと言っとけば違った結果になっていたかもしれない。 私は友人に、今度電話でそのスタンドに「お手洗い、予約お願いします」っていうてやり、と伝えておきました。
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60歳を過ぎてからはじめた焼き芋屋の仕事。 身体を使ってえっちらおっちら。 まったく畑違いの仕事。 あんた、焼き芋屋さんなんかやって、商売になるんかいな。 何人にも言われ、お客さんにも「いつまで続くことやら」とまで。 そりゃそうや。 でも、私の頭の中は、焼き芋で作った干し芋をヒットさせ、そのノウハウをブランドごと産地の農家さんに提供することや。 焼き芋屋は仮の姿や。 しかも、日本にやってくる観光客の人たちに、日本の伝統的なおやつの新しい切り口の品を提供して、お客さんにも農家さんにも喜んでもらいたい。 そんな思いが強かった。 インバウンド隆盛の昨今、とりわけ中国からの人たちにも喜んでもらいたい。そんなことをブログに書いたら、すっごい偉い先生に商品名を考えてもらうことにもなりました。 いい名前なので商標登録までしちゃいました。 「黄金餅」 ちょっとした宝ものです。 (商標登録違反がいくつもありますが放ってあります) さて、商売の方は、なかなかそうは簡単に問屋がおろさない。 ヒーヒー言いつつ3年が過ぎました。 続きはまた今度。 ほなっ。
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私の住んでいる町には中央卸売市場があります。 その中央卸売市場と少し関わりができるようになり、全国の農業や漁業のことを身近に感じるようになりました。 とりわけ農産物の産地では就業人口の減少が切実だということを知り、ここ大阪から何かアクションできないかと思いました。 農産物の加工品を作って付加価値の高い商品で農家を支援するきっかけ作りができればいいなあ、とぼんやり思いました。 それで、今までにない焼き芋の干し芋を作って売れるようにして、そのノウハウをそのまま産地に提供しようと思いました。 農家の6次産業化へのトライに役立つアンテナショップ。 あれから6年。 もうそんなにも時間が経過しました。 焼き芋屋さんをはじめたのはそんな動機でした。 あれから6年。 誰かいりませんかー! ノウハウぜーんぶ提供しまーす。 いらなーい? さて、そんな感じで始めた焼き芋屋。 今はどうなっているか。 それはまた明日。 ほなっ。
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もう10年ほども前のことです。 友人のホスピスのお医者さんにいろんな話しを ずーっと聞いていた。 できれば、それを本の形にしたいと思っていた。 「先生、あと3年は生きたいです」 そう願う人が何人もおられたと。 具体的に何かの出来事を想定せずとも、ともかく3年ほどは生きたい、という意味合いだったらしい。 石の上にも3年というからそこそこの期間。 ギリギリに追い詰められて、あと3年欲しいという切実な思い。 そこで私自身の人生を振り返って、なんだったんだろうと思った。 なんか人の役にたってきただろうか? ただ生きてきただけではなかったか? 家族を本当に喜ばせて来ただろうか? ホスピスで、最後の思いを語った人のことを思うと、じじいになったとはいえ、自分にはまだ時間はある。 あと3年と懇願するでもなく、時間はまだある。 (とはいえ、1年前には心筋梗塞で、いっちゃいそうになったのですが) ギリギリまで、精いっぱい生きないと後悔するのではないか。 周りの人に喜ばれるような生き方をしよう。それがギリギリ間に合いますように。 最後には「おおきにぃ!」と笑っていけるようにしよう。 そんな祈りを込めて、10年ほど前から「ギリギリやすし」と名のるようにしました。 (自分の死について思いを巡らすことは生きることを考えるというのは本当だった) なんでギリギリやすしが、焼き芋屋さんをはじめたのか。 それはまたあした。 ほなっ!
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いいこと思いついたと思って、ブログの最後は「ですです」で締めくくっていましたが、「death death」を連想させてしまうので、今日から「ほなっ!」に変更します。 さて、昨日のカテーテル検査、無事終了しました。受ける前は怖かった。 「ほっ!」 1年前に救急車で運ばれた時は、「もうこれでアカンのかも」そう思いながら、自分の身体は、自分の意識とは別にあるひとつの物体のように思えた。まるで他人事のような気持ち。 魂が身体を抜け出して、それを天井の方から見下ろしているような感じです。 何かの本で読んだからか、そのように感じていました。 ちょっと息苦しいと思うだけで、部分麻酔のおかげで処置中の痛みもなかった。身体はただの物体のように思えたので、恐怖や不安はほとんどなかった。ほんまに。 でも、今回の検査は、病院に来る前からとても不安やった。 痛いのと違うやろか。悪いところが見つかるのと違うやろか。 看護師さんも言うてた。 多くの人が救急車で運ばれた時よりも検査の時の方が怖いって言うてますって。 意識の問題なんでしょうね。 そうそう。 ぜーんぶ、意識。 生きてるって、意識の問題なんやろな。 いしき、いしき、いしき、いきし、息し。 空即是色、くうそくいしき。 やっぱ、意識や。(なんじゃソレっ) 「なんでギリギリやすしか」の話しはでけへんかった。意識、低ぅ。 それはまたあした。 ほなっ!
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あと1年。 死を思え。 死を忘れるな。 メメントモリ。 一日一生。 時間を大切に。 いろいろな言葉があるけれど、 あと1年あれば、今やっていることがなんとかなると思えるし、頑張ろうと思える。 あと1年だけの猶予があるのなら、その中でやりたいことをやり遂げたい。 そう思うことができる。 仮に、途中で終わることになっても、ずーっと前に向かっていたい。あと1年、意欲を持って充実した日々を送ろう。 毎日、1日だけの猶予と考えて過ごすのでは、時間が短くて息が詰まりそうになる。 3年と思えば、まだまだ時間はあると思って、たるんでしまう。 だから「あと1年」という言葉を毎日見て1日1日を味わっていきたい。 目標に向かう希望、欲望と道連れではあるけれど、「何もかもそれも良し」と「日々是好日」 これでメメント、モリモリ!でいきます。 それであと1年とタイトルにしました。 まもなく、その文字を印刷したTシャツもできます。(お店で着ます) ところでなんでギリギリやすしか? それはまたあした、ですです。